東京が発展したのは江戸時代ではない戦後である
東京が発展したのは江戸時代ではない、江戸時代の江戸...現在の東京は東は江戸川までと今とほぼ変わらないが、西は四ツ谷、北は千住、南は高輪までの現在の東京23区より遙かに狭い地域であった、新宿は今の御苑前辺りが内藤新宿の宿場町であり、西新宿はおろか新宿駅の辺りでもただの野原だった。
渋谷はシブタニ村であり、池袋も似たようなモノである、そして南の品川は日本橋から出る東海道の一番目の宿場町品川宿が、今の北品川から刑場のあった鈴ヶ森・立会川辺りまで続いていた、武家屋敷が今の麹町一番町・四ツ谷紀尾井町・市ヶ谷辺りで、庶民は日本橋、門前仲町深川辺りで暮らしていた。
東京が今のようになったのは、交通機関が明治時代後半に馬車から電車になったことが大きい、大正12年の関東大震災、昭和20年の太平洋戦争・第二次世界大戦敗戦直前の東京大空襲と二度の災禍を受け、人々の疎開地でもあった今の中央線を中心とする、東京の西部・武蔵野の大地の南北に広がったのだ。
名古屋、京都、大阪、神戸など中部・関西地域と比べて、関東の東京が一極集中と言われるほど発展したのは、明治政府の中央集権という政策ももちろん大きいが、関東平野というその大きさにあることがわかる、もし政府が大阪または名古屋で中央集権を行ってもその発展は戦前まででストップしたであろう。
韓国ソウルは漢江の北の方が倍以上大きいが川幅1.5kmはあるという大河の南北に、東京とは遙かに比べ物にならない道幅広く豊かな道路網と、国際空港こそ市内から70分と遠いが国内空港とのアクセスが至便なインフラを整備している、それが韓国の人々にどれだけ恩恵を与えているのかを知るべきだ。
成田空港と羽田空港の一括運用は無理である、ならば成田空港は北米・欧州など遠距離路線専用と位置付け、アジア方面の国際線をすべて羽田に移管し、地方空港との国内線を日本の地方空港~韓国仁川空港並みに充実せよ!羽田は大量のアジア便を受け入れるために、その分国内線を減便すべきである。
日本の人口は中国の1/10であるが韓国の3倍はある、成田が遠距離・北米欧州便、羽田が近距離・アジア便と割り振っても十分にお釣が来るのだ、今年の7月から北総線が成田空港に乗り入れ、成田空港第二ターミナル~日暮里間が36分になるが、日暮里は山手線の田舎であり東京西部との交通を考えよ!
外環道路の西側大泉以南とか、首都高新宿~渋谷線のジャンクションは、カネがかかり過ぎだと喚く馬鹿がいる、しかしこれらの道路が今頃完成するか、これから工事にかかるという方が異常なのだ、中国の住民に有無を言わさず追い出すのはアレだが、少なくとも韓国ソウル程度には交通インフラを整備せよ!
韓国ソウルでボクらのガイドであった26歳の若奥様が、日本に行ったのに何も買わずに帰って来たと言っていた、今韓国では良い服が日本よりかなり安く手に入るらしい、たぶん東大門のドゥータなどのことを言っているのであろう、明洞にはH&M、ZARA、フォーエバー21、新村にはユニクロがある。
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