何でフィルムで撮らなかったのだろう?@大河ドラマ
「羅生門」復元プロジェクトに米映画遺産賞とのこと、昨年テアトル銀座でジェラール・フィリップ主演の、スタンダールの名作「赤と黒」がデジタルリマスターされたということを知ったけど、「羅生門」という1950年に撮った60年前の映画の、劣化したフィルムの復元は凄いことです、ダビンチの最後の晩餐とかミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画の修復と同列のことですものね。
★太閤記@1965:第42回~本能寺1、2、3、4、5
※太閤記の映像で残っているのはフィルムで撮ったこの本能寺の回のみ、全部で40時間近い全編を残すのは無理だったにしても、その1/10...4時間くらいの総集編として残っていれば...それにしても森蘭丸を演じた当時まだ若干21歳の、片岡仁左衛門さんのイケメンぶりが印象的です。
そうなると返す返すも最近同じ題材を扱うのでまったく視る気がしないが、緒形拳、高橋幸治と片岡仁左衛門の「太閤記」とか、尾上菊五郎の「源義経」など、井伊大老を扱った「花の生涯」から始まったと聞く、NHK大河ドラマの旧作の映像が、当時のテープが高価で使い回したため残っていないということが残念でなりません、何で残せるフィルムで撮らなかったのだろう?
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Comments
ビデオで番組を撮らなければ、ビデオ撮影の技術は発展しない。だから、看板番組の大河ドラマを、NHKはフィルムではなくビデオで撮影したのでしょう。
で、フィルムのテレシネが始まったのはいつだろう。日曜洋画劇場が土曜洋画劇場劇場として始まったのがWikipediaによると1966年10月1日からだから結構昔からその技術はあったわけですね。
でも、逆のビデオからフィルムはいつからできるようになったのでしょうか。結構最近なんじゃないのかな。(「スターウォーズ」の新三部作の多くはフィルム撮影ではなくデジタル撮影ですよね)
さて、「風と共に去りぬ」を三原色にわけて保存したように、映画製作者たちはヒットした作品をリバイバル上映することで旧作のフィルムがお金になることを知っていましたからフィルムの保存に気を使ったわけですよね。
でも、テレビ関係者には、当時そういう発想がなかったのでしょうね、残念ですが。しかし、映画製作者たちも、ビデオの一粒で二度美味しいという、ビジネスにおける重要性に気づいたのはそれほど昔のことじゃないと言いますよね。
ま、今だからこそ気づくというのも多いのだと思います。
Posted by: YYT | January 06, 2010 10:57 PM
通りすがりにこのブログをみました。
「風と共に去りぬ」が3原色に分けてあったのは、当時のカラー技術がそうせざるを得なかったにすぎません。
Posted by: yasikazu2000 | January 31, 2010 10:58 PM