アローエクスプレスとユトリロの仔ノアノハコブネ
さなえさんが銀座の画廊でユトリロを観たと書かれています、ユトリロの絵で記憶にあるのは、実物を観たことはありませんが写真の絵でしょうか...階段の上がたぶんモンマルトルの丘と思われます、ユトリロはアル中だったと言われますが、30代で亡くなったロートレックとは違い、ボクが生まれる少し前まで生きておられたようです。
★アローエクスプレスとユトリロの仔ノアノハコブネ(02:58)
銀座の画廊ねえ、そういう穴場がありましたか...しかし交詢社近くの画廊の地下に、市川雷蔵ではありませんので、帯解き殺法なんて使えませぬが、大島紬などで着飾った動く美術品を、何回か観に行ったことがあります、ただボクが鑑賞^^に行く夜の9時ごろでは、1階の画廊は既に閉まっていて入れませなんだ。
そしてユトリロで思い出すのは、現在の大洪水の時代を彷彿とさせる、ノアノハコブネというオークス馬です、ボクはこのとき現場にいました、彼女が勝ったオークスは1985年といいますから、これからバブルが本格的になるワケで、何でこんな馬名が付けられたのかわかりませんが、当時三連単馬券があれば、間違いなく100万馬券になっていたであろうという大穴を開けました。
しかし彼女はその年が終わるまで生きていることは出来ず、この冬の時期の競馬で骨折して儚く消えて逝きました、ノアノハコブネがノアの方舟から落ちたのです、何故ユトリロなのか...それは彼女がアローエクスプレスとユトリロという牝馬の仔だからです、この競馬で真に光っているのは、現在調教師として大活躍している、音無秀考さんという騎手としては凡庸だった人です。
《追記》
当時の28頭立てって壮観ですな、今の最大18頭立てだとノアノハコブネは出れなかったと思われます、画家の死で印象的だったのは、ニースのシャガール美術館を訪れた翌日の、ヒコーキの中で配られていた彼のMort(逝去)という新聞記事でした、ボクが彼の絵を観ているときに息を引き取られたのかもしれません。
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