人の死について...
プロレス・ノアの三沢さんが試合中の頭部打撲のため46歳で、雑誌「小悪魔ageha」のモデル純恋(すみれ)さんが脳出血のため21歳で亡くなった、純恋さんの場合は本人が頭痛を訴えていたとのことで、事務所がちゃんと医者に通わせていたのかよと疑いを抱かざるを得ないが、三沢さんの場合は昔女子プロレスが派手な技とは裏腹に、事故を防ぐための受身などの指導を怠っていたと聞いたことはあるが、彼は指導者として経営者として事故の恐さを誰よりも知っていたと思う、でも仕事に忙殺された...
聞くところによると地上波から切られ、経営的にとても苦しい状態だったようだ、それでも何とかしようと自ら先頭に立っての悲劇...その早過ぎる死に言葉もない、今朝の政治番組で親爺の河野洋平さんの命を、自らの生体肝移植で救った河野太郎さんが臓器移植法の変更を訴えていた、ボクは自らの肝臓、腎臓あるいは骨髄を移植することで、自分の肉親を救うことには賛成する、そしてもしボクがそういう立場になったら救って戴きたい、でも...
脳死とか言う医学的にもあいまいな基準で、見ず知らずの人から臓器を戴いたり、自分が脳死の立場になることで臓器を渡すことには、釈然としないものを感じる、2歳に満たない我が子の命を救うために、1億円を集めなければいけないので協力してくださいと言われても、手術後5年の生存率といった短期ではなく、多少短くなるにせよフツーの人とほぼ同じような一生が送れるのかということさえ知らない、ならその1億円があれば何人の死ぬ必要がない幼子の命が救えるのだろうと思ってしまう。
姥捨て山を作るなという人がいるが、それより40~50代...イヤ余命一ヶ月の花嫁とか純恋さんのように、20代前半で亡くなる人も稀ですがいるわけです、彼らのような若死にを無くすということが、今の医学に課せられた最も重要なことだと思う、三沢さんも検診を受ける余裕があったのならドクターストップがかかった可能性が高いのでは...お年寄りにとって何よりも大切なのは、いかに安らかに苦しまずに死に至るかであって、意識もないのに動けもしないのに生き長らえるのは彼らの望むところではない...少なくともこのようにボクは思っています、如何でしょうか?
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