坂の上の雲Ⅱ:湯島と横浜山手の洋館を巡る
坂の上の雲...司馬遼太郎さん曰く、見上げる坂の上にたなびく雲の如く、遙か届かぬと一度は思われた欧州列強、その一角で当時一番遅れていたとされる大国ロシアに挑み、これをイギリスの力を借りて日露戦争で討ち果たしたワケですが、この間多くの外国人が明治維新時には寒村に過ぎなかった横浜に入り、その高台山手に洋館を造り近くの外人墓地に埋葬されたとか...
《坂の上の雲Ⅱ:湯島と横浜山手の洋館を巡る》
●2008年初秋の湯島旧岩崎邸庭園土曜のミニコンサート
★門から(03:01)、洋館(08:45)、和館(03:37)、庭園(02:02)
●横浜山手の港の見える丘公園から観る横浜港Ⅱ
●四半世紀振りに横浜山手を歩いてみました
★横浜山手の洋館:ベーリックホール1(02:51)、2(00:35)
★横浜山手の洋館@2008年暮れ:エリスマン邸(04:05)
★代官坂(00:46)、坂上(01:08)、ベーリックホールへ(03:25)
★エリスマン邸へ(02:58)、外国人墓地へ(08:04)
★外国人墓地を歩く(10:58)、ランドマークタワーを望む(00:31)
ということで、坂本龍馬のお友達と聞く岩崎弥太郎を始祖とする三菱財閥の邸宅、湯島にある旧岩崎邸庭園の洋館・和館と、横浜山手のスペイン人ベーリックとオーストリア人エリスマンの洋館を比べることにします、既に歴史の彼方に消え去った鹿鳴館はどんなトコだったのか、その辺りが浮かんでくればと思います、ボクは洋館の隣りに和館を建てた岩崎家に共感を覚えます。
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