三成がバカで豊臣家を潰したに1カノッサ^^
歴史のIF・もしも...今回は関ヶ原の戦いがもし起こらなかったらです、関ヶ原の戦いは天下分け目の徳川対豊臣の戦いと言われていますが、実際は徳川家康が仕掛けた豊臣の武闘派と文治派の分断作戦が見事に成功したワケです、豊臣家の対応は秀頼が成長し家康が死ぬのを待つのが正解。
まあ狸爺^^が74歳まで生きたので、家康の前に加藤清正が死ぬなど、歴史の一瞬先は闇ですから、三成も家康の前に亡くなった可能性も高いのですが、関ヶ原の途中までほぼ互角の戦いをみる限り、八丈島で80歳を越えて生きた宇喜多秀家の存在もあり、秀頼対秀忠の勝負は秀頼優勢とみますた
《追記》
某ブログ曰く、お前はドシ。
> お互い仲違いしているわけですから
こうなったのは誰の責任?清正たちよりバカ度が低いお利巧^^さんな三成の責任も大!三成は自分を守るバクチに出て親(豊臣)を殺したということになります、平和な時代がくれば自ずから文治派の立場が強くなります、徳川政権でも武闘派は次第に権力を失い、文治派が政治を動かすようになりました、文治派の三成が必要以上に動き回り、武闘派の清正などを刺激する必要はなかったのです、秀吉の朝鮮出兵も武闘派を生かすためのものです、結果大敗しましたが、そこで三成が余計な口を出して、清正などの不興をさらに招いています、さてどっちがドシかな?
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