堕落して形式ばっていた戦前という時代
「国家の品格」などを読むと現代日本は堕落している、古き良き戦前に戻れとか書いてある、でもコレって本当なのだろうか?ボクには大きな疑問だ、最近の映画で戦前の日本の姿を見事に捉えているのは、残念ながらアメリカ人のクリント・イーストウッドが作った、「硫黄島からの手紙」ではないだろうか。
戦場であたら自らの命を捨て自決して果てる犬死の若者たち、それを強要して当り前と思っている上官ども、そのころ日本の街には特高とか憲兵隊が始終嗅ぎ回り、非国民などとウソぶいて何の罪もない犬を殺し、女子供まで引き摺り出して行く...我々が今最も唾棄している某国の姿にクリソツではないか、ボクは日本の戦前という時代は堕落して形式ばっていたのだと思う。
古き良き時代...それは日本が勃興した明治後半から昭和初期までと、戦後廃墟から立ち直ってから、高度成長を迎え、松下幸之助、本田宗一郎、井深大、盛田昭夫...そして政治家に田中角栄などがいた1980年代までであろう、もちろん戦後は意図的に戦争から遠ざけられ、それに甘んじ...いや忌避までして真摯に取り組まなかったツケがあり、ボクは美しい国など支持しないが、それが現代日本最大の悲劇と言っても過言ではない。
《追記》
江戸時代と言えば、それはやっぱり朽ち果てる^^寸前の美しさ、オットセイ将軍・家斉公の御世...文化文政時代でしょう、正にバブルで堕落していた?う~ン...
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Comments
今のようにだらけていなく、凛としていた部分があったのは認めつつも、同時にマルセルさんが言うように堕落の極致にいたというのもたしかでしょう。
太平洋戦争が始まる直前に作られた映画をみると、「人情紙風船」のような時代劇であってもその時代の雰囲気は伝わってきますね。戦前に書かれた真山青果の「元禄忠臣蔵」もそう。
しかし、堕落した部分は描かれていないわけで、美化して描かずあるがままに描いている「硫黄島からの手紙」などからその当時の堕落ぶりを知るしかないというのは残念なことです。(左の人が描くと虐げられた部分ばかりデフォルメし、庶民の生活が見えてきません)
で、いちばん問題なのは戦前の堕落した部分が戸塚ヨットスクールなどに色濃く残り、それをよしとする人たちがかなり多いことです。そしてそういった人たちは戦前の美しい部分だけ美化して今の人たちを洗脳しようとする。(辿りつく先は戸塚ヨットスクールか北朝鮮なのに)
Posted by: ADELANTE | March 22, 2008 12:58 PM
安部の阿呆も「堕落して形式ばった時代」を美化してますなぁ。
とっととしぼんでくれて助かったが。
それと、「古きよき時代」に江戸時代も加えた方が良い。
コンテンツの生産力という部分で、あの時代を再現する事には意味があると思う
Posted by: 滑稽本 | March 22, 2008 09:33 PM
滑稽本さん
> コンテンツの生産力という部分で、あの時代を再現する事には意味があると思う
同感です。
江戸時代においてすでに、近代日本を受け入れる経済的な準備はすでにできていましたし・・・、そしてさまざまな○○本のような文化も熟成されていました。
Posted by: ADELANTE | March 22, 2008 10:29 PM
それは、戦前ではなく戦中のことでは?
言わんとすることは分かるのですが、戦前と言ってもいろいろな次期があるので。
指摘されているのは1930年代後半くらいからのことを指してらっしゃるんですよね?
これだと確かに太平洋戦争前からですけど、満州事変辺りから始まる一連の時代区分として戦前ではないような。。。
Posted by: momon | March 27, 2008 12:58 PM