カンプ・ノウ(Camp Nou)と彷徨わない^^オランダ人
WOWOW でバルセロナの巨大なサッカースタジアム、カンプ・ノウ(Camp Nou)の番組をみました、今の FC バルセロナの監督はフランク・ライカールトという、ボクが観に行ったトヨタカップで先制のゴールを挙げた、イタリアセリエ A の名門 AC ミラン全盛期の、ルート・フリットそしてマルコ・ファンバスデンと組んだ、黄金のオランダトリオの一人です。
★エルクラシコ@カンプ・ノウ:レアル戦のオープニング(01:44)
★カザルスの鳥の唄、カレーラスの Amigos para Siempre
でもその昔...1973年から5年間は選手として、そしてその10年後の1988年から8年間は監督として、スペイン・カタルーニャの魂バルサを全盛期に導いた人がいます、そうヨハン・クライフです、ということでタイトルを彷徨わない^^オランダ人としました、番組では彼の活躍の描写が鮮やかなメロディーを奏でていました、ではリズムセクションつうか通奏低音はなんだったでしょうか?
それは内戦の始まった1935年から、盟友^^ヒトラーが消えた第二次世界大戦を生き延び、死ぬ1975年までの40年間スペインを支配した独裁者・フランコの影です、でもカンプ・ノウは1950年代に建っています、フランコが死んで直ぐカタルーニャのフラッグ(旗)がカンプ・ノウにたなびきました、何か映像をみる限りカタルーニャの人たちの反骨心が、フランコを排除していたような気がします、どうなんでしょう?
《追記》
> 戦の勝ち負けの臭いを冷徹に嗅ぎ分けていた←だから^^付きの盟友と書きました、当時の日本政府が...今もそうだけど馬鹿だと言っているのです、アラゴン、カスティージャそして無敵艦隊...南部アンダルシアはアフリカでありイスラム...パリも昔からアフリカ色が強いけどネ、そうそうフランコがクーデターの旗揚げしたのは、対岸のアフリカ・モロッコだと言っていましたよ、まさに哀愁のカサブランカですな。(蟻)
The comments to this entry are closed.
Comments
マルセルさんは盟友^^ヒトラーと書いたけれど、フランコはムッソリーニよりはるかに頭のよい人で、第二次世界大戦に枢軸国側として参戦していないのです。
ヒトラーをゲルニカ空爆で利用するだけ利用しながらね。
戦の勝ち負けの臭いを冷徹に嗅ぎ分けていたのでしょう。
敵ながら恐るべき人です。
Posted by: ADELANTE | January 16, 2008 12:22 AM