鉄腕稲尾逝去とALWAYS続・三丁目の夕日
鉄腕・稲尾和久氏が急死 西鉄のエース、通算276勝とのこと、昭和33年の巨人との日本シリーズで3連敗した西鉄は、鉄腕と言われた稲尾さんの4連投で4連勝し、日本シリーズを制覇し、神様仏様稲尾様と言われ、そして昭和36年には年間42勝を挙げられたそうです、ご冥福をお祈りします(合掌)。
でも稲尾さんは昭和42年に引退されており、ボクには好々爺の解説者のイメージが強く、彼の快投をテレビですら観戦した記憶はありません、王さんはベーブ・ルースの記録を破ったときに、後楽園の外野席に親父と一緒にいたなど記憶が鮮明なんですが、長嶋さんもその活躍ぶりを生で観たことはほとんどありません。
そしてALWAYS続・三丁目の夕日と言われても、昭和30年代の記憶がないのでピンと来ません、地面を這いつくばっていた中央線も、京王線も記憶にございません、うちのお袋から親父が東京オリンピックにも、長嶋さんの試合にも連れて行ったと聞かされているのですが、試合をほとんど観ずに騒いでいたダケとか...
《追記》
長嶋さんとほぼ同時期に活躍した相撲の大鵬さんのことはよく覚えています、何でだろと思っていたのですが、時間帯だということに気付きました、相撲は寝かし付けられる前の午後5時からの1時間がメインで、相撲が大好きだったお爺ちゃんの膝の上で観ていたが、野球は放送が試合開始の6時からではなく7時からなので、ちっちゃいころはたぶんもうふとんの中だったのでしょう。
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Comments
えっ、京王線が地上を走っていた頃の記憶がないの。そりゃ問題だな。(^o^)
そうだね、私も王の記憶は鮮明でも長島の記憶はかなり薄いですね。稲尾は西鉄だからテレビでほとんど見れなかったのではとおもっています。それより祖父が相撲好きだったから、大鵬・柏戸は当然として栃錦・若乃花・朝汐の記憶までおぼろげながらあります。でも、力道山の記憶はない。
野球でいちばんおぼえているのは、阪急VS巨人の日本シリーズ第六戦で、阪急の投手は山田-山口のリレーだったのに8-7の大乱戦で巨人が勝った試合です。(この試合は後楽園球場で見ました) ま、最終戦は足立の好投で阪急が勝ち優勝した訳だから、V9ではなく、長嶋監督の第一期なのでしょうね。
Posted by: ADELANTE | November 15, 2007 07:42 AM
私も稲尾さんのイメージがなくて,「鉄腕」という名前だけが強く刻印されていたのですが,映像を見るとスリークォーター気味の,どちらかといえば,速球派というより,技巧派であることが分かります.同じ西鉄の豊田泰光さんが,「同期の投手のスピードを見て,これは駄目だと,コントロールに磨きをかけた」と書いていました.これは記録の上からもいえるようで,被本塁打数は756試合に登板してわずか199本.松坂は(日本で)204試合に登板して,137本,江川は266試合で,253本,村田兆治さんが,604試合で,304本ですから,いかに一発を喰わなかったか,が分かると思います.
Posted by: tantanmen | November 16, 2007 02:21 PM