フランク・シナトラの「マイウェイ」
下記はフランク・シナトラさんがニューヨークのマジソンスクエアガーデンで行った公演で「マイウェイ」を唄ったときの映像です、大西さんがこの唄のことを取り上げておられたのでYOUTUBEで検索してみました、同じ舞台装置で日本で公演が行われたことがあります、Wikiをみると1991年といいますから今から15年前、場所は横浜アリーナでした、今日はそのときの面白いエピソードなどをご紹介します、公演はダイヤモンドジュビリー...つまりシナトラさんの75歳を祝うと銘打たれていました、アレっこの映像...歌詞の最初の方を少し誤魔化してないかい、まいっかw
★フランク・シナトラ-マイウェイ@MSG
配席ですが確かセンター席の料金が3万円、アリーナ席が2万円そしてスタンド席が1万円となっていました、一緒に行く先輩にお伺いを立てると聴こえればいいよということでしたので、発売日の朝に出張先から電話をかけ一番安い1万円席を獲りました、しかしシナトラさんとかアリーナ会場になると料金が跳ね上がるローリングストーンズなどを、ブルーノート東京の空間で聴きたいと思うが、いったいいくら獲られるんだろうネ、その前にチケットが獲れない?まそうでしょう
さて当日会場に行くと2部構成になっており、最初の1時間にオープニングアクトと称してお弟子さんが出て来ます、で御大のシナトラさんはと言うとごゆるりと第2部からのご出演とのこと、シナトラさんだけなら約1時間程のショーのようです、第一部が終わりロビーでビールを飲んで戻ると、なんとボクらの席に上品な^^おば様が2人座っているではあ~りませんか
ここは我々の席ですがと尋ねると、センター席に座っていたらしく「下はうるさくて上がってきましたの、席を替わっていただけませんか」と望外のお言葉...ボクらは「よろしいんですか」ときき「ええ」とのお答えでしたので、なな何と1万円席が3万円席へと早替わりし、イソイソと下に降りていくのでありましたw、そこで確か最後に聴いたのが「マイウエイ」だったと記憶しています
しかしその後に悲劇が...公演を終えクルマに戻るとタイヤにブスブスと穴が開けられており、なな何とパンクです(蟻蘭)、駐車場が既に満車状態で公道に置かざるを得なかったのですが(←イマナラチュウシャイハン)...その場でスペアのタイヤに替えて帰宅しましたが、良いことがあれば悪いことがあると感じた1日でした、そのシナトラさんも今から8年前に亡くなっているワケで、そのお姿を超至近で観ることが出来たのはやはり良い思い出です
★シナトラ、サミー、ライザのニューヨーク、ニューヨーク
この公演は1989年のモノといいますが、横浜公演があった1991年には既にサミー・デービスJrさんは亡くなっていますので、その前々年のまだ元気なときの貴重な映像です、場所はラジオシティかな...サミーさんの享年は65歳と言いますからシナトラさんより10歳くらい下なんですね、でライザ・ミネリさんは今年還暦のようです、女性は長生きですからまだまだ...w
★シナトラとライザのニューヨーク、ニューヨーク
アメリカにはこんなアリーナちゅうかバスケットボール会場がたくさんあるので、場所はどこかわかりませんが、横浜アリーナと同じ舞台装置で行われた公演にライザ・ミネリさんが飛び入り(?)して、シナトラさんとニューヨーク、ニューヨークをデュエットした絵です、これもなかなかエエですな
《追記》
コメントありがとうございます、my share of losing ...そういう意味なんですね、そういうニュアンスがわからないんですよ、まシナトラさんはゴットファーザーに出てくる芸能人のモデルと言われていますよね
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Comments
シナトラ、やっぱり良いですね。2回も聴いちゃった。やるべきことをやったと、男らしいですね。そしてmy share of losingと愛についてもさらりという、ここいらがぐっと来ます。といっても、彼がこの歌詞のような人であるとは思っていませんが、かなりかぶる部分があるような…
Posted by: さなえ | June 18, 2006 07:41 AM