キングオブノルディック(荻原健司)
キングオブノルディック、ヨーロッパの人は荻原健司さんのことをこう呼ぶらしい、そういえばウチの親父が鬼籍に入ったのが1992年だった、その年の2月に仕事を終え帰宅したら満面の笑みを湛えてボクにこう言った「日本にも遂に世界で勝てる若者が出てきた」とネ、それから一緒に酒を酌み交わしながら録画を観たがよっぽど嬉しかったようだ、あんなに陽気な親父はみたことがなかった、でも3月に入ると入院し、オリンピックから僅か2ヵ月後の4月に彼は旅立ってしまった、まだ60半ばだった
さて、ジャンプのノーマルヒルで原田さんが失格になったが、その遠因は荻原さんにある、彼が1993年、94年、95年とワールドカップ複合の個人総合で3連覇するなど、特にジャンプがあまりにも強過ぎてヨーロッパの選手が束になっても敵わなかったため、ノルディックにまず身長によってスキーの長さが変わるというルールが導入された、ジャンプの配点まで変わり、最近体重でスキーの長さが変わるようになったとか
上村愛子たんが最近とみにレベルの上がったフリースタイルスキー女子モーグルの厚い壁に阻まれ、第二エアで3Dという難度の高い技を決めたのにも関わらず、スキーを操るスピードの差に歴然たるものがあり、メダルも獲得はならなかった、今井メロさんが出るハーフパイクのレベルも以前よりレベルは上がっているだろうが、モーグルとそんなには変わらんだろう
でも荻原さんのノルディックスキー複合のレベルはそんな生やさしいレベルの競技ではない、ヨーロッパ特に北欧諸国での選手層の分厚さは凄まじい、いわゆる国技である、そんな中での三連覇イヤハヤ凄いものだ、それにしても高橋大斗さんの棄権は残念だった、4年間この日を待ち続けただけにネ、本人が一番悔しいと思う、何かその報道が日本で軽い気がするのはオレだけだろうか...
まぁマスコミはちょっと活躍すると直ぐ金メダルとか騒ぐ、そして金メダルを獲ると女王だとか王様(キング)だとか言う、でもキングと呼ばれる人は10~20年に一度しか出てこない、女子テニスにしたってシャラポワは女王ではない、ナブラチロワ以降はグラフとヒンギスだけだ、アルペンは滑降はオリンピック毎に替わるし、スラロームではステンマルクの後にトンバがいるだけだろう、女子は古いがアンネマリー・プレル・モザーくらいしか浮かばない
そんな中に荻原健司さんは確実に入っているワケだ、そしてヨーロッパでは自転車はロード、スプリントとも盛んだが、ロードのレモン、インデュライン、アームストロングと並び称されるのが、日本ではバクチに過ぎない競輪の選手だが、世界スプリント10連覇の中野浩一さんだ、ヨーロッパが長い友人にきいたら、ヨーロッパ人が知っている日本人は小泉さんとかサッカーの中田さん、中村さんではなく、今でも荻原さんと中野さんだと言っていた
★TB先:http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20060213
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