遙かなるバイカル(親父から聴いたシベリア収容所)
今日はウチの親父についてチラっと話しをしてみたい、婆ちゃん(祖母)の話しだと親父は終戦の年に赤紙(召集令状)を貰ったわけでもないのに、自分で志願して戦地に行ったらしい、親父が物心^^つく頃には戦況はどんどん悪くなり、婆ちゃんにも日本が負けるなということは予感できていたとか、もちろん大本営は戦勝、戦勝のオンパレードであったわけだが...
オレは親父がどこの戦場にいたのかはきいていない、でも日本で玉音があった年(敗戦)からかなりの期間シベリアに抑留されていたようだ、だからイルクーツクだヤクーツクだというシベリアの都市の名前はよく知っていて、ロシア語は書けないけど喋れた、誰に教わったかというと収容所にいたオバちゃんというかうら若き女性たちだったらしい、まぁ寝物語^^で教えて貰ったのかもしれない
かなり男前でモテたとかよくお袋の前で自慢し、ハイハイ^^とか言われていた、ロシアにお前の兄貴か姉さんがいるかもしれないとか半分真顔で言っていた記憶がある、いたとしてももう60歳近いし、随分と年の離れた兄弟ということになるが...親父はロシア人が大好きだった、極寒の収容所では一番若い囚人だったので本当に可愛がられていたらしい
親父はロシア人のことをよく露助(ろすけ)とか呼んでいた、オレはそれって日本人がジャップと呼ばれるのと一緒で蔑称だと思うのだが、その時の親父の目は優しく且つ遠くの方をみているようだった、ま収容所仲間の先輩たちがロシア人のことを露助と呼んでいたのだろう、生きていたらいくつだって?ナベツネさんと同じだと思うw
その親父の心に一番残っているのはシベリアにある巨大な湖バイカル湖だ、2001年の映画に「大河の一滴」という五木博之さん原作・安田成美さん主演の作品があるが、この映画の舞台が東京、金沢とシベリアの田舎町で、確かシベリア鉄道とバイカル湖が出てきたと思う、ここでいう大河とはバイカルを起点とし北極海に流れるレナ川のことだ
親父はバイカルをもう一度みたいと言ってだいぶ前に白血病で死んだ、だとすると収容所はバイカルの畔にあるイルクーツクの近くにあるのだろう、ロシアは終戦直後もシベリアで原爆実験をやっていたときいている、彼の死因のひとつに原爆実験の放射能があることは間違いない、死ぬ直前に朦朧とした意識の中で遙かなるバイカルを想い、そこで会った女性たちは健在なのかと気にかけていた姿がオレにはいじらしかった
《追記》
ボクはみていないけどフジテレビで過酷なシベリア抑留の映像を流していたらしい、ナベツネさんもそんなことを言っておられる、この文章が実態を反映していないとおっしゃられる方もいるでしょう、まだ生まれていないボクはその実態を知る由もないし、親父もいい思い出だけを選んで喋っていたのかもしれません、とにかくソ連という国は大嫌いだけどロシア人は純朴で大好きだ、そんな風に言っていました、なんでもそうですが集団の暴力ってヤツが一番恐ろしいんじゃないですか?
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